大変なんです!!、「宝暦14年正月、朝鮮通信使、大磯宿で昼休み休憩」されるとしても、その準備。
本稿の目的は、 宝暦度の朝鮮通信使が対馬から江戸を往復するに、その準備方がいかに大変であったかを具体的に説明することにある。逆な見方をすれば、幕府が完璧なロジスティックス(失態を許さないおもてなし)を各宿場に求めていたかを語ることにある。
本稿で取り扱う相模国大磯宿での滞在予定時間はわずか3時間、昼食の接待のためである。
その資料とは、神奈川県立公文書館に保管されている下記の史料である。
基本情報
| 資料群ID | 9200700009 |
|---|---|
| 資料群名 | 朝鮮通信使関係文書 |
| 資料ID | 2200701003 |
| 資料名 | 【朝鮮通信使関係文書】朝鮮人御用中日記 |
| 差出人・作成者 | 渡辺半十郎手代 内山伴七 |
| 原資料・複製の区分 | 原資料 |
| 受入区分 | 購入 |
| 数量 | 1 |
| 箱番号 | 箱1 No.3 |
| 原資料の所在 | 05-06-09-00 |
| 資料形態 | 冊 |
閲覧複写情報
| 作成(刊行)時期未詳 | 宝暦14年正月 |
|---|---|
| 配架情報 | 30-00-00-00 |
| 審査状況 | 不必要 |
*表紙
「宝暦14年 甲申正月
相模朝鮮人御用中日記
御賄所渡辺半十郎下役 内山伴七 」
とある写本である。
この文書は時系列で大磯宿の朝鮮通信使受け入れの状況を記述している。
まず、幕府派遣の御賄い方渡辺半十郎を紹介したい。https://www.digital.archives.go.jp/api/iiif/1194623/manifest.json
- 資料
この記録によると、渡辺半十郎は本国が三河、生国が武蔵で、祖父や父共に名は渡辺半十郎で御馬方であり、文久3年段階で64歳であった。この資料から類推するに、父ではなく、同姓同名のもう一代まえの祖父の渡辺半十郎が、相模国大磯宿に派遣された可能性が高い。
さて、本題に戻ろう。領地はどこにあったか不明であるが、渡辺半十郎と下役内山伴七の二人は
1)正月22日:朝鮮御用御役所の命により、本日、中山道鴻巣宿に到着。加藤五左衛門方に投宿。
→中山道鴻巣宿(江戸から7番目の宿、現在の埼玉県鴻巣市本町付近。天保14年(1843年)には宿の町並み 15町余(約1,620m)、人口2,274人、本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠屋58軒(街道平均 25軒)を含む戸数566軒)
→→加藤五左衛門の素性は不明。
2)正月23日:鴻巣宿より、加藤五左衛門・塚本惣左衛門・塚本藤左衛門とともに出発し、江戸本庄(ママ、「本所」)二ツ目みろくし門前池田屋利右衛門方へ到着、同月24・25日に二日逗留。この本所二つ目は津軽藩上屋敷付近であった。
3)正月26日:上記の4名に加えて、「足立郡加田谷坂東民弥」を加えて5名で本所を出発し、戸塚宿に向かい、宿泊。
→ 武蔵国足立郡加田屋(谷):現在の埼玉県さいたま市見沼区加田屋・加田屋新田周辺。 由来: 延宝年間(1675年)以降にこの地を入江新田として干拓し、享保年間(1728年)に徳川吉宗の新田開発奨励を受けて再開発した坂東助右衛門が、江戸日本橋の屋号「加田屋」のちなんで命名。その名も彼の先祖の出身地、紀伊国名草郡加田村に由来)。坂東民弥は坂東家一族か?
4)正月27日:大磯宿平田屋九兵衛方へ到着、その後に、この平田屋に宿泊した17名のリスト掲示
→大磯宿:東海道五十三次の8番目の宿場町。宿内の家並みは、長さ1.3㎞、江戸方より街道に沿って、山王町・神明町・北本町・南本町・茶屋町(石船町)・南台町の6町で構成。本陣3軒、脇本陣6軒、旅龍66軒、江戸後期人口は3056人、家の数は676軒。本陣と旅龍は北本町・南本町・茶屋町に固まっていた。江戸後期の地図に、南本町に平田屋の屋号を持つ旅籠が見えるので、その周辺に平田屋九兵衛が居住していた可能性を提出しておきたい。answer1_.gif (535×584)
5)正月27日晩:大磯宿役人善左衛門を訪問
6)正月28日:下役の会所を訪問。
7)正月29日:小田原宿からの連絡。明日、朝鮮国進上の馬2疋(ママ)。芸術馬3匹、大磯宿に到着予定だとの一報あり。
8)正月晦日:朝鮮国進上の馬、「午中刻」(現在の正午ごろ)に大磯宿に到着。そして「未下刻」(午後3時ごろ)に平塚宿に向けて出発。平塚宿の「御馬宿」の責任者である渡辺半十郎手代浜名兵七ほか4名で、その馬をお世話する。
9)2月1日:明七つ時より雨。ご機嫌伺に、代官所へ。
①朝鮮国進上馬は、御馬・芸馬5疋の内で黒馬3疋、白馬1疋、かけ
(鹿毛)馬1匹
②「御馬飼料」のリスト(大豆5升、精<米や大豆など栄養価の高い
飼料1斗、ほか6品)
③朝鮮国官人3人(次官乗り物、中官乗り物、下官乗馬、通詞1人が
本陣市右衛門
④対馬藩役人平田幸右衛門駕籠、引馬1疋、上下十人、宿は安右衛門
⑤官人警備 手代会田定七ほか4人と足軽二人
⑥官人到着時に、袴・羽織にて本陣門の中の左右でかがんで挨拶をす
る者ーー鴻巣宿の加藤五左衛門・塚本惣左衛門、足立郡加田屋の坂
東民弥
⑦次官など料理食材(大磯宿で準備された食材、料理人は
朝鮮通信使同行の専属料理人)
1,膾 平目、大こん、にん参、セうか、くり、きんかん
2,汁 ツミ入ほら、岩たけ、午房
3,濃醤 串子 きくらげ 長いも 干さんセう
4,香物 なら漬瓜 、味噌漬大根
5,飯
6,煮物 鶴・伊勢海老・かんひゃう、松茸。干わらひ
7,汁 すまし すずき
8,鉢引 和もの梨子 かまほこ 雉子焼き鳥
9,焼き物 鯛
10,菓子 まんちう、うつら焼。ようかん
11,右黒膳・黒椀で配膳する
→白米(2升) 白味噌(7合5勺) 醤油(3合) 酢(3合) 胡麻油(2合5勺) 塩(2合5勺) 初首挽茶(5匁) 服部刻たばこ(20匁)
鯛(1枚 但長1尺5寸) 鰡ぼら (1 本 但長1尺2寸) 甘鯛(3つ 但長8、9寸) 大鮑(2つ) 鯣(するめ 3枚) 鰹節(2つ) 鶏(1羽 但活鳥) 鶏卵(8つ) 猪(1股)
菓子(まんじゅう7つ、求肥、カステラ、あるへい糖、らくがん各半斤)
野菜類(大根5本、蕪5本、菜2把半、牛房5本、人参5本、長芋5本、里芋5つ、芋 2 合5勺、葱2把、芹2把、慈姑5つ、柚5つ、塩松茸5本、椎茸1合、豆腐1 丁、蒟蒻 2丁、麩5つ、昆布1枚、小麦粉2合、葛2合5勺、胡椒の粉2匁5 分、からしの粉1合、芥子1合、黒胡麻1合、山椒1合、生姜2合など)
香物(奈良漬、味噌漬)
炭(2詰)
薪堅木(7把半)
10) 2月2日:快晴。一日中、役所にて待機。鈴木久弥どのほか5人、長崎屋に 到着。
11)2月3日:高麗山の権現に参詣。鎰を作りに、日本でも名高い山下村鍛冶屋定右衛門を訪問した。
12)2月4日:快晴。御馳走方脇坂淡路守、昨三日に江戸を出発し、平塚宿に宿泊、本日、大磯宿に到着予定。御馳走手代小沢高蔵ほか4名、お出迎え。五左衛門や民弥が新規に購入した瀬戸物などを点検。八ツ時に、代官が見回り。
13)2月5日:快晴、御役所の庭にて、朝鮮通信使迎接のための諸道具が引き渡され、五左衛門が帳面に記録。その後、御用蔵へ収蔵。
10)2月6日:曇。代官が酒匂川の渡しを巡検し、七つ時に、帰る。
11)2月7日:快晴、風吹く。代官が馬入川舟橋の巡検にでむく。本陣の台所方に、諸道具を引き渡す。御馳走から留守居下役福部金蔵ほか5名に、町役人立ち会う。
12)2月8日:快晴。五左衛門ほか5名で、町中の宿舎割をした家々を巡検。そして料理献立の写しを渡す。その献立表は「別帳」にある。
13)2月9日:晴天。 朝鮮国進上の荷物・釣物・長持ちなど51棹、そして「別副」という「白絹の旗御荷物」が大磯宿に到着。「国礼物」の名札有り。
対州役人 村瀬作兵衛
御荷物附役人 三浦平左衛門
脇坂淡路守内 関口十郎右衛門 引き馬にて出迎え
同 出迎え 加集卯右衛門・岡田善太夫
14)2月10日:晴天。対馬藩の役人が「御賄所」(台所)を来訪し、メニューなどを協議。そして「下行渡方帳面」を確認。
15)2月11日:雨。宿泊名簿の確認。馬入川舟橋絵図書写。7つ刻に、掛川御賄所より急報。朝鮮通信使一行、2月7日に掛川宿に到着。大井川出水のために、朝鮮通信使一行は2月8日、掛川宿に滞留の「御廻状」が届く。
16)2月12日:晴天。御用蔵を封印。
17)2月13日:宿代えあり。対馬藩通詞方、五つ時より到着。御賄道具の中で「盃2つ、黒盆2枚、青漆平二人前紛失。各宿の荷物「御用蔵」に封印。
18)2月14日:記入なし
19)2月15日:曇・
20)2月16日から2月18日:記入なし
21)2月19日:御代官、江戸に帰る。代官の下役など箱根宮ノ下温泉に湯治に行く。
22)2月20日:快晴。鴻巣宿から来た5名で箱根宮ノ下温泉安藤勘右衛門方で湯治。
23)2月23日:2月29日、大磯宿に帰着。
24)3月1日:伊那半左衛門の御勘定衆ならびに御徒目付など74人が大磯駅で休憩。
→伊那半左衛門:伊奈忠順の通称。関東郡代職・武蔵国赤山城主(4000石)。徳川家康の関東入部に従った4人衆の一人。その家門は伊那家だけが継承し、代々関東郡代職を継承。
25)3月2日:快晴
26)3月9日:大磯代官、帰着。
14)2月10日:
**************
参考情報①
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