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長崎県立長崎図書館撮影の対馬資料

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贈元玄川帰田

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対馬藩「韓語司かんごけいこどころ」の朝鮮語教育

  目次 対馬藩「 韓語司 ( かんごけいこどころ ) 」の朝鮮語教育 松原孝俊 趙眞璟   第 1 章 雨森芳洲と対馬藩「韓語司」設立経緯をめぐって 一 はじめに 二 享保年間以前の対馬藩における朝鮮語教育 三 享保五年の対馬藩 四 雨森芳洲の外国語学習 五 「韓語司」の学校運営と稽古生募集 六 「韓語司」第一期生に対する教育内容 七 「韓語司」第一期生に対する評価方法 八 まとめにかえて 第1章註   第 2 章 厳原語学所と釜山草梁語学所の沿革をめぐって-明治初期の朝鮮語教育を中心として- 一 はじめに 二 厳原朝鮮語学所の開設 三 厳原韓語学所の運営 四 厳原韓語学所の廃止 五 釜山草梁倭館の語学所の設立と廃止 六 まとめにかえて 第2章註   参考文献   対馬藩「 韓語司 ( かんごけいこどころ ) 」の朝鮮語教育 松原 孝俊 趙 眞 璟     第一章 雨森芳洲と対馬藩「韓語司」設立経緯をめぐって   一 はじめに   本稿の目的は、対馬藩の韓国語教育機関であった「韓語司」の設立経緯の解明と、その開設に尽力した雨森芳洲の外国語教育理念を、韓国語教授法の観点から分析することにある。  そもそも江戸時代の対馬藩における「朝鮮言葉」を解する通詞は、朝鮮国との対外交渉の最前線で活躍する外交官役を務め、   [資料1]「朝鮮ニ相勤候御役人館守裁判一代記ハ勿論の事に候~~(中略)~~、其外ニハ隣交之儀、通詞より切要なる役人ハ無之候」(長崎県立対馬歴史民俗資料館蔵写本『朝鮮御通交ニ付雨森東五郎存寄』)   ように、「御隣交之御役」(『詞稽古之者仕立記録』「通詞仕立帳」)と考えられた。なるほど   [資料2]「朝鮮向之御役目相務候人数多有之之内、通詞之義ハ身分軽御座候             而も、役目ハ大切成事ニ奉存候。」(雨森芳洲「韓学生員任用帳」)   であったものの、藩内において家老にのみ許された錦服であったが、例外的に通詞にもその着用が許可され、特別に遇されたという(小倉進平、1934年、73頁)。しかしながら朝鮮語学の大先達である小倉進平でさえも、およそ70年経過した明治維