筆談唱和に「旧法あり」-- -草場珮川著『津島日記』を中心に
筆談唱和に「旧法あり」 -草場珮川著『津島日記』を中心に 1. はじめに 本稿の目的は、江戸時代に12回にわたり訪日した朝鮮通信使と日本人との間に行われた筆談唱和の実相に関して、草場珮川著『津島日記』を通して、主に約束事や制約などの「旧法」の有無を検討することにある。 周知の記事であるが、 「按ずるに、かの使者来聘ごとに、必筆談唱和あり。天和正徳の頃よりして、その事やや盛なり、その書類冊をなすもの百数十巻にいたる」(『通航一覧』巻108、朝鮮国部84、263頁) とあるように、当時から朝鮮通信使たちの筆談唱和の刊本や写本が多数知られていた。高橋昌彦氏の労作「和韓唱酬・筆語図書目録」下関女子短期大学紀要9号、下関女子短期大学、1990年)によって現存する筆談唱和集のリストが作成され、その全貌の一端が判明した。そのリストを出発点として、新資料発見のたびに、また各地の訪書の途次に偶見した異本などの諸資料を高橋氏は増収しているが、機会を得て、高橋氏から最新版を提供して頂き、拙編『Global時代の朝鮮通信使』(花書院、2010年、211―291頁)に収録したことがある。最新情報によると、現在までに165篇(刊本、もしくは写本)の筆談唱和集の現存が確認できる1。 (1)寛永13年度----4 (2)寛永20年度----3 (3)明暦元年度----5 (4)天和2年度----15 (5)正徳元年度----25 (6)享保4年度----21 (7)延享5年度----40 (8)宝暦14年度----43 (9)文化8年度----9 ところで、その研究数は必ずしも多くないものの、筆談唱和の内容分析などに関する文学的あるいは思想的研究は着手済みであると言って良い。しかしながら、筆談唱和がいかに行われたか、あるいは筆談唱和は誰にもオープンに開かれたものか、さらには江戸幕府側が制定した筆談唱和をめぐる規約が存在したかなどを解明した研究は、管見の限りでは知らない。本研究の狙いは、ここにある。 ところで、ふと考えてみるならば、そもそも朝鮮通信使一行には、毎回、対馬藩所属の朝鮮語通詞や朝鮮国側の日本語通詞も同行しており、朝鮮人と日本人の間のコミュニケーションに不便が無かったはずである。例えば、江戸時代で最初の慶長12年度の朝鮮通信使約500名には、都訓導各1名・訳官6名・小通事4名(宣祖40年7...