脇坂安董と対馬藩との結びつき
問題の所在: 脇坂安董と対馬藩の関係は、いつ始まったのか 阿比留論文の主眼は、 朝鮮本を媒介とした対馬藩の政治的人脈の解明にあった。国内の様々な人物との関係性を解明する中で、 文化8年度通信使応接副使であった脇坂 安董にも視野を拡大し、 翌文化9年の対馬藩主宗義質の後見役、そして 文化9年以降の安董の対馬藩への継続的関与にも言及する先駆的な研究を開拓した。阿比留氏の問題関心そのものが我々と大きく離れているものの、阿比留氏によって、 脇坂安董と対馬藩との接点を見出された価値は高い。 再論すれば、脇坂 安董は文化8年の通信使応接に関与し、翌文化9年には対馬藩主宗義質の後見役となっている。 文化8年の外交御用と、文化9年以降の安董の対馬藩への継続的関与は、どのような関係にあり、なぜ 脇坂 安董は対馬藩との関係を維持し続けなくてはならなかった のだろうか。換言すれば、 脇坂 安董にとって、対馬藩との関係を断ち切ることができなかった理由は何だろうか。 管見によれば、その糸口の一つが * 『文化十四丁丑年ゟ義質様御代脇坂中務大輔様江之御状控』 だと考えている。