見るべき史料「社中通信記」(相国寺所蔵) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 11, 2023 文化6年7月から9年正月に至る対馬朝鮮間の書契及び通信文95,天竜 竜潭周禎 文化6年4月96,東福 月耕玄宜 文化8年閏2月、 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
朝鮮通信使資料集 2月 18, 2018 朝鮮通信使資料集 資料所在情報を知る便利な論考 三宅英利「朝鮮通信使研究小考」 『福岡県地域史研究』第14号、1996年、1-21頁 朝鮮通信使一覧 - 松原研究室 - 九州 大学 [1]1413年(癸巳・応永) [2]1429年(己酉・正長) [3]1439年(己未・永享) [4]1443年(癸亥・嘉吉) [5]1460年(庚辰・寛正) [6]1479年(己亥・文明) [7]1590年(庚寅・天正) 金鶴峯『海槎録』(『海行総載』第1巻、朝鮮群書大系続々第3輯) [8]1596年(丙申・慶長) 黄慎『日本往還日記抄節』(韓国中央図書館蔵)--題簽「資聞録」(『青丘 学叢』第11号) [9]1607年(丁未・慶長) 慶七松『海行録』(ソウル大学奎章閣蔵)(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大 系続々第4輯) 慶暹『海槎録』 1607年1月12日ソウル出発 2月29日釜山出発 3月21日対馬厳原出発 4月11日大阪出発 5月24日江戸到着 6月14日江戸出発 閏6月20日肥前名護屋到着 7月 3日釜山帰着 7月17日ソウル帰着 [10]1617年(丁巳・元和) 呉允謙『東槎上日記』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) 朴梓『東槎日記』(ソウル大学奎章閣蔵) 李石門『扶桑録』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) [11]1624年(甲子・寛永元年) 姜弘重『東槎録』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) [12]1636年(丙子・寛永13年) 任統『丙子日本日記』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) 金世謙『海槎録』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) 金世謙『槎上録』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) 黄漫浪『東槎録』(『海行総載』第3巻、朝鮮群書大系続々第5輯) 李志恒『漂舟録』(『海行総載』第2巻、朝鮮群書大系続々第4輯) [13]1643年(癸未・寛永20年) 趙絅『東槎録』 申竹堂『海槎録』 著者未詳『癸未東槎録』 『通信使謄録』(ソウル大学奎章閣蔵) 『倭人求請謄録』(ソウル大学奎章閣) [14]16... 続きを読む
ユネスコ 世界記憶遺産 朝鮮通信使 日本側リスト 10月 23, 2017 日本側の登録対象リスト(別紙1) 総数(48件209点) Ⅰ 外交記録(3件19点) No 件名(名称) 使行年 制作者 制作年代 数量 所蔵 備考 1 朝鮮国書 1607 1617 対馬藩作成 1607 1617 3 京都大学総合博物館 重要文化財 詳細別紙 2 朝鮮国書 1617ほか 対馬藩作成 朝鮮王朝 1617ほか 15 東京国立博物館 重要文化財 詳細別紙 3 正徳元年朝鮮通信使進物目録 毛利吉元宛 1711 通信使 1711 1 山口県立山口博物館 重要文化財 Ⅱ 旅程の記録(27件69点) No 件名(名称) 使行年 制作者 制作年代 数量 所蔵 備考 1 朝鮮信使御記録(県庁伝来旧藩記録) 1711 長州藩 1711・12 13 山口県文書館 詳細別紙 2 福岡藩朝鮮通信使記録(黒田家文書) 1763~64 福岡藩 1763・64 15 福岡県立図書館 詳細別紙 3 甲申韓人来聘記事 1763~64 尾張藩 (松平君山) 1764 1 名古屋市蓬左文庫 4 小倉藩朝鮮通信使対馬易地聘礼記録(小笠原文庫) 1811 小倉藩 1811 6 福岡県立育徳館高校錦陵同窓会、みやこ町歴史民俗博物館寄託 福岡県指定 詳細別紙 5 朝鮮通信使迎接所絵図(土肥家文書) 18世紀 1 土肥純子 壱岐市指定 6 江洲蒲生郡八幡町惣絵図 1700頃 1 近江八幡市 (旧伴伝兵衛家土蔵) 近江八幡市 指定 7 正徳度朝鮮通信使行列図巻 1711 対馬藩(俵喜左衛門ほか) 1711 3 大阪歴史博物館 8 朝鮮信使参着帰路行列図 1711 対馬藩(俵喜左衛門ほか) 1711 4 (公財)高麗美術館 9 宗対馬守護行帰路行列図 1711 対馬藩(俵喜左衛門ほか) 1711 4 (公財)高麗美術館 10 延享五年朝鮮通信使登城行列図 1747~48 郡司某 1748 1 下関市立長府博物館 11 朝鮮国信使絵巻(上下巻) 対馬藩 17~18世紀 2 長崎県立対馬歴史民俗 資料館 重要文化財 12 朝鮮国信使絵巻(文化度) 1811 対馬藩 19世紀 1 長崎県立対馬歴... 続きを読む
羽川藤永筆『朝鮮通信使来朝図』江戸市中を行列する延享度朝鮮通信使 8月 19, 2017 羽川藤永筆『朝鮮通信使来朝図』。江戸市中を行列する延享度朝鮮通信使の行列を描く。 延享5年(1748)頃 羽川藤永筆 . 紙本著色、 69.7×91.2、 1幅、 池長孟コレクション 「 儀を正して整然と行進する騎馬人物を含む朝鮮通信使を透視図法を採りいれて描いた風景画。このような様式は1740年代の江戸に誕生し、画中の事物が立体的に見えることから浮絵 (うきえ) と呼ばれた。本図の箱書きにも「浮絵」と見える。本図は将軍の交替の際などに来日した朝鮮通信使のうち、寛延元年(1748)第10回の通信使の行列をもとにして描いていると推定される。要人とその一行が将軍への挨拶を終えて、使館の浅草本願寺へ戻るため常磐橋 (ときわばし) を渡り、本町 (ほんちょう) 二丁目を過ぎていく情景を描いている。 収納箱の貼紙からこの図が、徳川吉宗の第二子、田安宗武の子で、宝暦3年(1753)に9歳で夭折した小次郎(孝慈院)の愛玩の作品であったことがわかる。小次郎の死後、宝暦4年に理性院尼から東叡山寛永寺の子院で、小次郎が葬られた凌雲院の僧正光俊に贈られ、さらに光俊から宝暦11年(1761)に延暦寺までもたらされたらしい。」 (http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/701.html) 本図が朝鮮通信使とは異なるため、山王祭りの唐人行列と見なす意見がある。私も同意見である。 続きを読む
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