萩藩の負担は銀2700貫目
萩藩が負担したのは、
①水夫の斡旋
②下関と上関における饗応
③客館の修築もしくは新築
④大阪‐淀川間の淀川をさかのぼる川御座船の提供
これらの負担総額は銀2700貫に達したと吉田智史氏の玉稿が教える。
⇒吉田智史「朝鮮通信使接待の財政負担:宝暦通信使の萩藩を事例として」『七隈史学』16、2014〉
萩藩の支藩である長府藩にしても、これ以外にも
*延享5年度〈1748〉に、駿河国吉原宿での接待役
*宝暦14年度〈1764〉に、江戸御馳走役
を幕府から命じられることで、さらなる出費を要した。
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