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朝鮮通信使使臣の(庶子(서얼、庶孽)しょけつ)説は林麻衣子氏の卓見

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 鄭敬珍著『交叉する文人世界』法政大学出版会、2020年刊を読む。 鄭氏が初めて発見したと強調する「朝鮮通信使庶蘗(しょけつ)説」(例えば、209-210頁など多数)であるが、これは失考である。これを調査不足、勉強不足、短慮というべきか。 法政大学博士論文審査時に、担当教員が指摘すればよかったと考えるが、その方々の知識欠如と雅量不足か。 なお、粛宗45年に上疏した洪致中の記事に言及すればさらに良い 。 ************** 下記のように、すでに林麻衣子氏が的確に指摘している。 そして庶蘗(しょけつ) 庶子( 서얼 、庶孽)の理解も的確である。泉澄一先生のご指導の賜物か。 file:///C:/Users/fukuo/Downloads/KU-1100-19990131-02.pdf 李氏朝鮮王朝における対外使節の出自について 利用統計を見る File / Name License KU-1100-19990131-02.pdf    KU-1100-19990131-02.pdf   (717.74KB)  [ 122 downloads ] アイテムタイプ 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper 言語 日本語 キーワード 関西大学, Kansai University その他のタイトル The Origin of the delegates in the Period of Li Dynasty of Korea 著者 林 麻衣子 著者別名 Hayashi Maiko 雑誌名 史泉 巻 89 ページ 16 - 24 発行年 1999-01-31 ISSN 03869407 書誌レコードID AN00103634 著者版フラグ publisher 出版者 関西大学史学・地理学会

江戸幕府年寄奉書・同老中奉書(寛永元年1624)

萩藩「公儀所日乗」寛永14年2月25日条

 萩藩「公儀所日乗」寛永14年2月25日条(山口県史、史料編、近世2、297頁、平成17年) 一 朝鮮人2月10日之八つ過、下の関迄無事下着仕候通、御登板松平伊豆殿江申上候事 公儀所とは、萩藩江戸藩邸におて当役および加判役の下、幕府・諸大名との渉外実務を担当した役職である公儀人の日記

見るべき史料「社中通信記」(相国寺所蔵)

 文化6年7月から9年正月に至る対馬朝鮮間の書契及び通信文 95,天竜 竜潭周禎 文化6年4月 96,東福 月耕玄宜 文化8年閏2月、

以酊庵からの輪番僧

 1, 東福 玉峰光燐(玉偏) 寛永12年11月 2,東福  裳陰玄召 寛永13年8月 3,天竜 洞叔寿仙 寛永15年4月 4,東福 玉峰(再住) 寛永16年4月 5,東福 裳陰(再住)  寛永17年4月 6,天竜 洞叔(再住) 寛永18年4月 7,東福 裳陰(三住) 寛永19年3月 91,天竜 象田(再住) 享和元年4月 92,東福 天瑞(再住) 享和3年4月 93,相国 汶川恵汶 文化2年4月 94,建仁 嗣堂東輯 文化4年5月 95,天竜 竜潭周禎 文化6年4月 96,東福 月耕玄宜 文化8年閏2月 97、相国 大中周愚 文化10年2月

延享5年、品川に建てられた制札

宿内はいふにおよばず宿続家並の所にて火縄を持或者、くわへきせる堅致間敷候。若背もの有之者可捕者也。 又翌四月には、  此度朝鮮人往来の節、道筋にて乞食・非人払候様に可致候。宿宿または途中にても朝鮮人と猥不入交様に可致候。右の通被仰出候間、其旨度可相心得者也  辰四月 半左衛門役所  品川 六郷 川崎             神奈川 保土ヶ谷          右宿宿 并宿間村々               名主               年寄

岡山藩 

 https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/6/63140/20220131092242326190/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF%E9%A5%97%E5%BF%9C%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%B3%87%E6%96%99_%E4%B8%8A.pdf