『隔蓂記』に見る朝鮮通信使

『隔蓂記』は、寛永12年(1635)8月21日から寛文8年(1668)までの33年間の日記である。筆者は、鹿苑寺住職の凰林笑章。(『隔蓂記』本篇6巻、総索1巻の全7巻、2006年、赤松俊秀編、思文閣出版) その『隔蓂記』寛永20年(1643)6月20日条に、  「朝鮮三使、江府へ赴かるるにより見物をなす、御幸町の道以の所に相頼むなり。(中略) 町々針抜き、上下2町ずつ相閉じ、往来成し難きゆえ、三条の橋下を通り、下より、御幸町通りを行き、道以の所に赴くなり」 とある。三条御幸町に住む道以の家で朝鮮通信使のパレードを見たいと願う。

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