文化8年 5月24日 太華李学士顕相・清山金書記善臣・泊翁李書記明五・菊隠李進士文哲・滄海李判事儀龍が以酊庵に来遊、筆語唱酬あり

 岩瀬文庫蔵書

目録データ 和
函番号(資料番号)
108-107 
旧書名
薄遊漫載 
数量
単位
冊 
書名
薄遊漫載  
書名ヨミ
ハクユウマンサイ 
書名の備考
原題簽欠。書名は内題による。 
版写
版 
書型
中(縦長) 
存欠
全5巻 
原装・改装
原装 
丁数
99 
寸法
19.4/12.1 
編著者
三宅橘園 
編著者ヨミ
ミヤケキツエン 
成立
見返に「威如斎先生著/橘園蔵版」。辛未(文化8年)榴夏二十四日、朝鮮通信書記嵩陽金善臣(書于芳津舘中)(刻印「金印善臣」)序。文化9年2月、橘園三宅邦(刻印「三宅邦印」「元興氏」)自序。巻首「加賀三宅邦著 門人/平安松岡祐子吉/土佐山下懿文卿/尾張永田定良達/校次」。文化10年3月、平安花園僧東益(刻印「益杜多」)跋。刊記の表丁に「橘園先生著述書目 家塾蔵版」として「鶏林情盟 一巻/薄遊漫載 五巻/西遊筆賸 二巻/助語審象 三巻/孝応録 一巻/聖学綱 二巻/左伝発揮/左国雪冤 二巻/左伝弁疑/読史/威如斎初稿」の書目あり(彫残しあり)。文化11年6月鐫、書林 須原屋伊八(江戸下谷池之端仲町)・河内屋喜兵衛(大坂心斎橋通北久太郎町)・平野屋太兵衛(京都三条通麩屋町角)刊。 
成立西暦
1814 
刷り書写の態様
早印。 
内容
朝鮮通信使と会うために対馬に出かけた旅の漢文体紀行文。各地で文人と交遊、漢詩多数を収める。文化8年2月27日京「柳街僑居」を出立、大坂に滞在、篠山万福・三村伯達・僧公巌・僧海量と会う。閏2月16日陸路出発、生田・湊川・兵庫(元力士の雅人、永沢街の喜助に会う)・明石・高砂・姫路(書写山行に懲り今後は街道を離れた名所を訪ねないことにする)・岡山・備後神辺(菅茶山と閑談、茶山が詩を論じて「西海諸子猶膠李王、東都新派偏執楊万里、吾無所拘拗、正執其中」と語る)・広島・岩国・赤間関より小倉に渡り、3月5日博多に着。崇福寺曇映和上と閑談、亀井道哉・元鳳に会う。平戸で平田卜貝方に滞在、周辺を散策、24日上舟、壱岐勝本浦に滞在、長村大夫(靖斎)等と会う。5月1日上舟、対馬着。以酊庵を訪ね、同郷の東福寺即宗院玄道の書簡を観瑞和上に届け、和上の周旋により藩府の許しを得て15日より以酊庵に滞在。24日太華李学士顕相・清山金書記善臣・泊翁李書記明五・菊隠李進士文哲・滄海李判事儀龍が以酊庵に来遊、筆語唱酬あり(別巻「鶏林情盟」にあり、本書には録せず)。6月26日韓使乗船まで交友あり(但し韓客のうち太華・清山の才を認めるのみで、意に満たなかった旨を記す)。滞在中対馬各所に遊ぶ(山猫・水虎の記事あり)。7月15日乗船、壱岐を経て8月5日平戸着。13日長崎着、滞在、豪潮律詩・仏后和上・篠山万福等諸家と交遊あり。和蘭舘の下を舟で過ぎ、硝子窓の玲瓏透映に驚くが「然亦反無正大気象」とする。「長崎雑咏十四首」「長崎僑舎雑詩十九首」等の詩あり。翌年正月12日出発、19日小倉で広江文龍を訪ね、阿州の七条安尚(本草学を好む)・江戸の僧百名(誹諧歌を工にす)と会う。21日乗船、海路を行き、27日大坂着。途中同船に語るべき者なく退屈、終身商人の船に乗るまいと誓う。29日淀舟により帰京。 
旧蔵印識語
第2冊裏見返墨書「文化丙子(13年)仲冬 〈下邸〉另品」 
備考
原装黄表紙(三方切付)。著者は加賀の人。皆川淇園門。京で家塾を営む。文政2年没53歳。自序によれば、郷里を出て京に住むこと10年、「翻若以京師為郷国、郷国為羈旅者」であった著者が、文化7年秋(9月15日)に父を喪い、憔悴し鬱々と暮らしていたが、友人の勧めにより漫遊を思い立ったもの。書名の薄遊について「蓋取諸明人謂奪情遠宦者曰薄遊也」とあり、親の喪中に遠方に仕官する意。 
資料所蔵機関の名称
西尾市岩瀬文庫
資料種別
05文学 
資料種別詳細
2漢文 
大分類
1和書
和分類1
> 05文学
和分類2
> 2漢文5日記遊記

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