吉田智史氏の力作「正徳元年の朝鮮通信使と福岡藩」

吉田智史氏の力作「正徳元年の朝鮮通信使と福岡藩」 久方ぶりに、のどの渇きを癒した思いがする力編である。未だかって見ぬ研究者であるが、その篤実な調査手法に脱帽する。

九州地域において、1960年代からの三宅英利による朝鮮通信使研究は 一頭地を抜くものであり、大著『近世日朝関係史の研究』(文献出版、1986年)に収録された諸論文によって、多くの研究者を裨益すること大であった。

 しかしながら、三宅の研究がなるほど画期的であったにせよ、その研究成果は十分に乗り越えられるべきであろう。というのも研究の進展は日進月歩であり、新資料が日本各地で続々と発掘されているからである。それだけに巨視的な研究視点や日朝の『通航一覧』・『通文館史』などの基本的資料に依拠した分析を土台にしつつも、そのレベルが飛躍的にアップしてきている。三宅自身、福岡県を例に挙げて、「(朝鮮通信使の)準備・饗応・事後・影響等に関する具体的な実態調査、他藩との比較も交えての分析的解明、藩の推移を含めて総合的な視野からの意義論」などが今後の課題であると先駆的に指摘している。

 その予言通りに、地域別研究の深化は顕著である。県別にみても、山口県・広島県・岡山県・兵庫県・大阪府・滋賀県・愛知県・静岡県・神奈川県にいたる朝鮮通信使江戸往来のルート上の地域単位で朝鮮通信使関連資料発掘と各種研究の積み上げがみられるようになった。

 今、福岡県に限定すれば、『福岡藩朝鮮通信使記録』(全13冊、1993年~2000年、福岡地方史研究会)や、『新修 福岡市史 資料編 近世1』(2011年、福岡市)・『新宮町誌』(1997年、新宮町)などが刊行されることによって、それまでのマクロな視点からミクロな視点で朝鮮通信使が取り扱われるようになった。

 私が注目する吉田智史の研究にしても、そうした福岡地方内の地方史研究の展開と共に各種資料の公開を待って、はじめて福岡県の馳走の実態が解明される端緒についたと言ってよいだろう。

 詳細は吉田の論文に譲るが、吉田論文で注目すべきは、時系列で朝鮮通信使関連事項が整理されていることである。いずれの表も、膨大な時間を要するもので、その研究対象に迫る熱意に感動する次第である。

第1表  正徳元年の朝鮮通信使到来までの福岡藩領相島内の動き

第2表  正徳元年の朝鮮通信使で用いられた主な資材や食材など

第3表  動員職人 人夫数

第4表 各郡より動員された人夫

第5表 通信使帰国時の福岡藩水夫等の数

第6表 正徳元年の朝鮮通信使における木屋軒数等

第7表 通信使馳走における福岡藩の米銀支出の一部

第8表 聞合一覧

第9表 黒田家文書中にある他所からの聞合¥

第10表 通信使復路の福岡藩提供の船。人員

これらの表は、三宅英利の研究を発展するうえで、欠かすことの出来ない基礎資料を提供する。

寸暇を惜しんでの労作に脱帽する。今後に目が離せない。

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