岡山藩における接待の概要
『(享保4年亥年)来朝帰帆共 朝鮮人御用留帳』(12)より
1)享保4年の事例
2)朝鮮通信使来訪の一報は、享保3年6月25日、岡山藩江戸屋敷詰めの江戸御留守居(松平大炊頭様 御留守居衆中様)宛に、対馬藩用人(鈴木左次右衛門、原宅右衛門)からの書状。
「以手紙致啓上候、信使来聘之時節之儀、来年7.8月比、御当地参着仕候様に、朝鮮国江被申越候処、奉得其意旨返答申来候に付、御案内申上候」
とある。ひきつづき、享保3年6月28日付けで、江戸幕府からの正式な通知が岡山藩江戸屋敷に届く。
「戌6月28日、従公儀御渡被成候御書付
朝鮮人来朝之儀、来年秋中と被仰出候、然者、信使渡海之節、於其表馳走等之儀、先例被相考被伺候儀候ハハ、前方ニ可被申越候、諸事天和二戌年来朝之格ニ可被心得候、尤、品々より正徳元年卯年来朝之ニ可宜儀者被致勘弁、両様ニ可被伺候、以上
朝鮮人御用掛り
寺社奉行 松平対馬守
大目付 横田備中守
勘定頭 大久保下野守 」
によって、岡山藩によってもその準備方が始まる。
その様子は、亥2月15日付け、岡山藩主から幕府井上河内守宛に送達された書状でわかる。同文は、亥2月16日付けで宗対馬守へも通達された。
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