尼崎市教育委員会
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明和元(1764)年に通信使の書記として来日した成大中に、日本の文人らが彼の印を彫って贈ったものです。成大中は多くの日本の文人らと筆談して最も文名を馳せた人物です。印章の側面には大坂の文人木村蒹葭堂・福原承明(尚修)、岡山の文人中村三実、篆刻家澤田東江の名が刻まれています。当時の両国の友好関係を象徴する資料です。

蒹葭堂刻影印
木村蒹葭堂刻印白文(左)と朱文(右)
木村蒹葭堂(1736?1802)は、明和度の通信使のために20顆の印章を篆刻し、それらは江戸からの帰途、淀の船中で就寝する通信使たちのもとへ届けられました。「昌山成大中士執印」の白文と「允執其中」の朱文が両面に印刻され、そして側款には「浪華木弘恭刻」の文字が刻まれています。

福原尚修刻影印
福原承明刻印白文(左)と朱文(右)
福原承明(1735?1768)は、1月22日に木村蒹葭堂らとともに通信使の客館を訪ね、成大中と筆談を交わして大いに感銘を受けたことから、後日、通信使8名の印章を贈りました。白文「成士執印」、朱文「成大中印」とが両面に印刻され、側款には「日本浪華処士福尚修為東華龍淵成君刻」の文字が刻まれています。

澤田東江刻影印
澤田東江刻印白文(左)と朱文(右)
書家・篆刻家として有名な澤田東江(1732?1796)の白文「成大中印」と朱文「士執」の印章は、東江が彫った朝鮮国王への将軍返書印章を気に入った製述官南玉(ナムオク)と成大中から製作依頼されたものの一つです。3月11日に品川の客館で両名に贈られ、そこに同席した韓天寿(かんてんじゅ)が求めた題跋にこの印章が捺されています。

中村三実刻影印
中村三実刻印影印
岡山の文人中村三実は通信使4名の印章を彫り、5月25日に帰路牛窓に立ち寄った通信使たちを訪ねて贈呈しました。成大中には6顆の印章を贈りましたが、その内の「癸酉司馬丙子登龍」「士執」「成大中印」の3顆が伝わっています。成大中は、篆刻家の中でも三実が最たる者であると賞賛しています。

木村蒹葭堂他所刻成大中印章

木村蒹葭堂他所刻成大中印
拡大(617px×1701px 115kb 別窓)
数 量 6顆
法 量 2.7×2.8×3.6㎝他
形 態 寿山石印章
年 代 明和元(宝暦14、1764)年

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