藤沢宿の人馬の調達


1年先の人馬の調達計画を指示。>御泊ケ所江郡中人馬并隣宿より百疋百人を調達。
>『延享三丙寅年十一月より 朝鮮人一件御用留帳』(部分)
二番
一 来辰年朝鮮人来朝ニ付、先規人馬賄之儀御尋ニ御座候
一 正徳元卯年来朝之節勤方之儀者、御泊ケ所江郡中人馬并隣宿より百疋百人宛御用相勤申候、遠方村方者前後三、四日も相懸り、大分之人馬・宿場矢来ニ仕難義仕候、隣宿ニ而ハ百疋百人御泊り所江差出シ、助郷計ニ而外御用相勤申候所、御通行之間者外御用御飛脚等之方手悪敷御座候事
一 享保四亥年来朝之節者、町人請負ニ而通シ人馬ニ罷成り候、此義如何様之訳ニ而通シ人馬ニ被仰付候哉不奉存候、勤方之儀者朝鮮人一件請負方ニ而引請、宿人馬之儀者平生之通り外御用相勤、勿論百疋百人差出シ候儀無御座ニ勝手宜敷御座候、然所請負余(途)中ニ而不埒ニ罷成り御用差支候ニ付、俄ニ宿々へ被仰付、請負方不足之人馬急ニ継立候故、殊外混雑仕候事
右之通り御座候へ者、今度御用之儀通シ人馬ニ罷成り候へ者、遠方村方矢来詰□難義無御座、隣宿より御泊り所江相詰候義も無御座、方(旁)以宿・郡中共々勝手宜敷御座候、然共右ニ申上候通り請負方ニ差支御座候而ハ難義ニ罷成り候、無差支御用相済申候ハヽ、宿・郡中共御救ニ罷成り申候、以上
卯正月十七日
右宿々問屋・年寄
(『寒川町史2 資料編近世(2)』所収 藤沢市平野雅道氏所蔵文書)

<資料>『延享三丙寅年十一月より 朝鮮人一件御用留帳』
乍恐書附ヲ以申上候
一 人馬溜メ矢来、先年絵図当時場所見立書付可差出事
此段、別段村絵図書付ヲ以申上候
一 正徳・享保之節人馬出方事
此儀、正徳元卯年ハ朝鮮人戸塚宿泊りニ御座候ニ付、人馬出方之義聢と不奉存候
享保四亥年ハ藤沢宿御泊りニ御座候得共、町人請負人馬ニ而御通り被成候ニ付、人馬員数等不奉存候
一 寄人馬何程宛差出し候哉、賃銭等請取候義有之候哉
此儀、正徳元卯年戸塚宿御泊り所江当宿より人馬百疋百人相詰、中馬御用相勤申候、尤賃銭等請取不奉候
享保四亥年ハ請負通し人馬故、宿人馬之儀自余御用相勤申候
一 寄人馬当日より幾日前ニ場所江揃候哉
此儀、正徳年中戸塚泊り之節、藤沢宿より御泊り御日限より一日前ニ相詰申候、在方詰刻之儀者聢と不奉存候
一 馬飼領(料)何方より渡シ候哉、自分入用ニ出シ候哉
此儀、正徳年中藤沢宿より戸塚宿へ相詰候節者、人足扶持・馬飼領共ニ自分入用ヲ以テ相賄申候
一 来朝より前後ニ罷越朝鮮人荷物者、宿役ニ人馬差出シ候例ニ候弥(哉)、其通りニ候哉
此儀、前後御通朝鮮人御荷物者、宿継ヲ以相賄申候
右之通御尋ニ付、書上仕候所相違無御座候、以上
延享四年卯三月
東海道藤沢宿問屋 七郎右衛門
同 七郎左衛門
名主 彦四郎
年寄 藤右衛門
同 三右衛門
道中 御奉行所様

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