第10回 寛延時の朝鮮通信使が朝鮮に持ち帰った日本の文化情報

第10回1748年(寛延元年)英祖24年徳川家重洪啓禧朝鮮通信使家重襲封祝賀





英祖代、朝鮮通信使が持ち帰った日本の文化情報は、朝鮮人の自惚れを打ちのめすものであった、その高い思想レベル、深い儒教理解、蘐園派の領袖・荻生徂徠の古文辞学、多方面にわたる日本人の文筆活動に接して、その驚きが認められる。一言で言えば、日本人文化理解の高さに侮れないと感じた。

かって、一部の在日朝鮮人たちによる「朝鮮人は一流、日本人は三流」といった論調で、朝鮮人の自尊心を満足させた説明が横行した。それを鵜呑みにした日本人たちの一部は、詳細な分析や日韓の文献を博捜することもなく、無批判に愚かな宣伝文を垂れ流した。

もはやその浅薄な理解による朝鮮通信使研究の段階にはない。

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