正徳の朝鮮通信使
正徳の朝鮮通信使
(1)
宝永6年(粛宗35年、1709)??月10日、徳川綱吉逝去
(2)
対馬藩樋口内託が、礼曹参判・参議・東莱府使・釜山僉使に通告
(3)
粛宗は、宝永6年10月、堂上訳官下廷郁・堂下訳官鄭晩益を派遣し、弔意を表した。
(4)
宝永6年4月、土屋相模守は対馬藩に対して信使来聘交渉開始を指示。
(5)
宝永6年5月1日、第6代将軍徳川家宣が宣下の大礼を挙げる。
(6)
宝永6年5月、対馬藩は告慶参判使(杉村三郎左衛門)が派遣された。
(7)
宝永6年11月、礼曹参判韓祐・参議趙泰老が、幕府に対する返書と別幅を送る。
「貴大君、光承令緒、■■洪休、其在交好之誼、渇(サンズイ無し)任■(丘+頁)賀之至」(「正徳信使記録」下巻、宝永6己丑歳、家宣公就御代替朝鮮国江告慶参判杉村左衛門被差渡候覚書)(『宗家記録』慶応大学図書館)
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