詞稽古之者仕立記録
雨森芳洲外交関係資料集より
(281ページから285ページ)
(表紙)
享保二十一年丙辰年 廿一番
貴十 拾番
詞稽古之者仕立記録
(中表紙)
通詞仕立帳
雨森東五郎
(本文)
朝鮮通詞御仕立被成候ニ付雨森東五郎より(願出か)候存寄書之覚
朝鮮通詞役之儀ハ御隣交之御役ニ付たる切要之役人ニ候処、唯今にハ巧者之者共皆々老人ニ罷成、遠からぬ内ニ必至と御用相支へ可申様ニ相見へ候。是而已ニ而も無御座、近年時勢イよろしからす、馬乗リニ罷渡リ候町人年々減し候得ハ、自分より朝鮮言葉稽古仕候もの無之。重而御交易之方ニ可被召仕町人も有之間舗様に相見へ、是亦大切之御事ニ存候故、何とぞ府内ニ罷有候町人とも朝鮮言葉はげみ候様に有之度事ニ存候。就夫左ニ書載仕候通リ町中江御触被成候ハ・、稽古為仕度と相願候もの数多可御座哉と存候。左候ハ・町人之内朝鮮言葉堪能成もの一人師匠ニ御立被成、丸三年御国ニ而稽古被仰付、其内にて勝而得方ニ候と相見へ候ものを弐三人、四五人稽古通詞ニ被仰付度御事候。左候ハ・相残候もの共も若輩成内習込候事ニ候ゆへ失念も仕間舗、其内ニハ馬乗リにも罷渡り、自然と朝鮮言葉堪能ニ成候もの数人出来可申候ゆへ、四五拾年之間ハ通詞に御事被欠候事ハ有之間舗と被存候。唯今弐人三人稽古通詞二被仰付候而已ニ御座候而ハそればかりニ而相済、其上弥
御用ニ相立可申候哉否之儀も難計候ゆえ、右之通リニ被成候ハ・、第一ハ大勢に罷成、其上三年御試ミ被成候上稽古通詞ニ被仰付候得ハ、其もの共之儀ハ先御用ニ相立候者与相見へ、旁以可然哉と存候。先年申上候ハ十全なる通詞御仕立被成候道筋を申上候得共、唯今ニハ御時勢も違候ゆえ責而此通リニも被遊度御事二奉存候。兎や角申候内ニ月日相立必至と相支候時ニ成リ候而ハ、急ニ通詞出来可仕様無之候得ハ、何とぞ早ク思召被立候様ニ有之度御事ニ存候。
町中江御触被成候覚
朝鮮通詞御仕立被成候付、従 上其師被仰付之。六十人子共之内、先試のため御国ニ而丸三年稽古為致、其内堪能ニ候か、或ハ病身又ハ外之支有之御断申上候ものハ被差免、弥御用ニ相立可申と相見へ其身も願候ものハ御択被成候而、稽古通詞ニ被仰付朝鮮江可被差渡との事ニ候間、十二三より十四五迄之子共願ニ存候もの、其名井年付いたし来月何日迄之内町奉行方へ可申出候以上。
月 日
町 奉 行
一、右書付之内、御断申候ものハ被差免といたし候ハ、此度之御試ミひとへに通詞御仕立之御主意計と存候ハ・子共を通詞ニいたし候事相願不申候もの共ハ、稽古為仕可申とハ致間舗候故通詞而已ニ而無之、重而別代官又は町代官ニ被召仕候ニも朝鮮言葉不堪能ニ候而ハ御用ニ相立不申候ゆへ、右之通り被仰付候との事銘々合点仕、子共持たる者之分ハ稽古為仕候様ニ有之度存候而之事ニ御座候御事。
一、丸三年の御試ミ相済稽古通詞被召抱候以後ハ、其他之もの共稽古被差免候との事(共か)以被仰聞置可然存候事。
一、教授一員
毎歳酬労米何俵宛
覚
其方事丸三年韓学教授被仰付候間、毎日稽古所江罷出指南之儀随分精ニ入、御用ニ相立候もの数人取立候様ニ可仕候。此度丸三年之内試稽古被仰付候ハ、専稽古通詞ニ罷成候もの御択可被成と之事ニ候得共、御国之町人ハ別代官方又ハ町代官ニ被召仕候時、朝鮮言葉不堪能ニ候而ハ御用ニ立不申候付、右之通被仰付事候間、左様ニ相心得、尤訳生共江も其旨為申聞、若輩之者なから得と落付心を入、稽古相勤候様ニ可致候以上。
月 日
一、訳生無員
毎歳墨筆紙何程宛被下候事
一、韓学司
稽古所ハ何レ之寺庵成共借シ上候様ニ被仰付、畳表替一ヶ年ニ一度
障子張リ直し一ヶ年ニ四度
茶一ヶ月ニ何斥宛
炭一ヶ月ニ何俵宛
外ニ丸三年之内ハ毎歳酬労米何俵宛被成下、訳生共江毎日読書指南いたし候様ニ被仰付候事
一、御国ニ居合候通詞詞共江
覚
此度朝鮮言葉之試稽古町中之子共へ被仰付候付、何某儀教授ニ御定被成、毎月一日宛考日立置、通粗帳相認差出候様ニと被仰付候間、考日ニハ皆共内より弐人ツ・罷出、何某同前ニ相考ヘ通粗帳ニ印判いたし差出可申候以上。 弐人居合不申候時ハ、一人ハ庵主可相加事。
一、提調一員
一、副提調一員
惣御下知ハ御年寄中様より御一人御世話被成、外ニ佐役一人被仰付可然哉之御事。
(白表紙)
覚
朝鮮通詞御仕立被成候付 上より其師被仰付之。六拾人子共之内、先試之ため御国ニ而丸三年稽古被仰付、其内不堪能ニ候歟、或ハ病身又者外之支有之御理リ申候者ハ被差免、人柄冝敷弥御用ニ相立可申と相見へ、其身も願候ものハ其内ニて御択被成、御入用之数ニ応し稽古通詞ニ被仰付、朝鮮江可被差渡との御事ニ候間、十二三より十四五迄子共持候親々共、朝鮮言葉稽古之儀願ニ存候者ハ、稽古願何某世悴と其名井年附いたし、来月十日迄之内町奉行方へ差出候様ニ可被申渡候以上。
七月廿三日 年 寄 中
平田源五四郎殿
覚
一、右御書付之内、御断リ申候ものハ被差免候と有之候者、此度御試偏ニ通詞御仕立之主意ニ候得共、御国町人之儀者町代官・別代官・長崎手代役又者信使之時被召遣候ニ、朝鮮言葉不堪能ニ候而者御用ニ相立不申候故、惣六拾人中之子共者不残稽古いたし置候様ニ思召候処、若茂右稽古之内ニ入候者、重而通詞被仰付候節御断リ難申可有之哉と、後日をはかり稽古不為仕入茂可有之哉と思召候ニ付、御断リ申候者ハ可被差免との御事ニ候。仮令通詞相願イ不申候ものニ而茂、若輩なる内ニ丸三年致稽古居候ハ・失念茂無之、重而朝鮮江罷渡リ自分ニ稽古いたし候時之可為大益と存事候間ニ、此旨能々可被申聞候。
一、唯今手習師匠ニ附置毎日師匠方へかよハせ候付、朝鮮言葉稽古場ニ出候而者右妨ケ候と存候事も可有之哉。朝鮮言葉稽古場之方ハ毎日暫時之事たるへく候間、手習ニかよい候支ニ者罷成間敷候。夫ともに相支候訳も候ハ・、追而者朝鮮言葉稽古之方ハ八ツ迄ニ被仰付事も可有之候。此段茂可被申聞置候以上。
七月 町 奉 行
年行事衆中
越常右衛門
右者此度町六十人之子共へ朝鮮言葉稽古被仰付候付惣下知被仰付候。雨森東五郎茂此段発趣之事ニ候間、諸事申談可相務旨可被申渡候。
八月十五日 年 寄 中
組頭衆中
八月十五日今日左之通相窺候処、弥此通リ申付候様ニ被仰出
朝鮮通詞役之儀者御隣交之御役等付たる切要之役人ニ候処、唯今ハ巧者之者共皆々老人ニ罷成、遠からぬ内必至と御用相支可申様ニ相見へ、是而已ニ而茂無御座、近年時勢よろしからず朝鮮江為商売罷渡候町人年々減し候得者、自分より朝鮮言葉稽古仕候もの無之、重而御交易之方ニ可被召仕町人も有之間敷様ニ相見江、是又大切之御事ニ存候故、何とそ府内ニ罷有候町人共朝鮮言葉はけ見候様ニ有之度存候付、町六十人子共之内、十二三より十四五迄之内、言葉稽古相見望候者ハ師匠壱人相立置、其者江於御国丸三年稽古被仰付、其内ニ而勝て得方ニ相見ヘ候者を四五人稽古通詞ニ被仰付朝鮮江差渡、相残候者共茂若輩成内習ひ込候事ニ候故失念仕間敷、其内ニハ朝鮮ニ罷渡自然と朝鮮言葉堪能に成り候もの数人出来可申候故、四五十年之間ハ通詞ニ御事被欠候儀者之間敷と存候付、頃日朝鮮言葉相望候六十人之子共書付差出候様ニ為相触候処、三十人余相望候者書付差出候付、為試丸三年稽古為仕仕見可申と存候。右之段御案内申上候以上。
八月十五日
越常右衛門
右者此度町六拾人之子共江朝鮮言葉稽古被仰付候付惣下知之儀申渡候処、委細口上書を以御断申出、朝鮮言葉等茂不存、其上不堪能ニ有之。導之筋存寄も無之
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