藍島で筆談唱和した福岡藩の儒学者たち
(1)
天和2年(1682)に藍島で朝鮮通信使を迎接した藩医鶴原九皐は、幼名時敏、字君玉、号九皐・梅庵など、宝永7年11月15日卒。黒田綱政の侍講。
(2)
正徳2年(1712)に藍島で朝鮮通信使を迎接した神屋立軒は、幼名は亨、字原明、号松堂・立軒、享保14年卒。無足組藩士。
(3)
享保4年に藍島で朝鮮通信使と筆談した櫛田琴山は、幼名は渉、字巨源、号琴山、別号北渚・半隠堂・宜秋堂。寛保2年卒。『牛隠堂集』、『緑蓑堂集』などあり。
(4)
延享5年(1748)に藍島で朝鮮通信使を迎接した島村晩翠は、幼名は遅、号晩翠、宝暦3年卒。
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