享保度の上関筆談唱和
享保四年(一七一九)に徳川八代将軍吉宗の襲職を賀すため、朝鮮通信使正使洪致中以下一行四百七十九人が来日した。
使節一行は、八月二十四日赤間関を経由して翌日上関に寄港し、その後、順路上京した。帰途十一月二十八日に上関に入港した。萩藩校明倫館初代学頭小倉尚斎(江戸林鳳岡門下)は、門生山根竹甫、佐々木曲江とともに上関御茶屋で筆談唱和した。使節一行は、十二月一日に出帆し十一月八日赤間関に到着した。その滞在の三日間で小倉尚斎らは朝鮮通信使らと筆談唱和を贈答した。その文藻が、伊東東涯の序を添えて『両関唱和集』と題して出版された。
<国会図書館書誌データ>
○享保四年己亥仲冬二十九日
防州竈関唱酬 稟
諸君大礼已畢 文施西還 起居万福欣■々々梯航万里衝暑而来侵寒而去辛労多々不可勝言今幸繋■予竈門関防長二州主大江拾遺遣 僕迎謁 姓小倉名貞字実操号尚斎嘗官遊于東都侍林整宇■帳辛卯歳家李洪厳南四君容接於本願寺且受雨森松浦二子知遇芳洲稽留于東都頗得薫陶之益今夏六月下浣帰藩領州学教諭僕少患脚疾不便拝起請莫罪不敬
青泉
答僕姓申名維翰字周伯号青泉乙酉進士巳甲科官今秘書館著作兼直太常寺行年二十九謬朝選以学士随使節而来海陸万里得竣事回旋莫非
両邦徳音以信以誠使微臣獲此栄帰感誦無涯且惟離蒙小枝辱在 請君子盛念風微芳訊穆そ如鼓慧吹笙此行所奉何菅陸生千金装聞 足下清文峻行己伝
使節一行は、八月二十四日赤間関を経由して翌日上関に寄港し、その後、順路上京した。帰途十一月二十八日に上関に入港した。萩藩校明倫館初代学頭小倉尚斎(江戸林鳳岡門下)は、門生山根竹甫、佐々木曲江とともに上関御茶屋で筆談唱和した。使節一行は、十二月一日に出帆し十一月八日赤間関に到着した。その滞在の三日間で小倉尚斎らは朝鮮通信使らと筆談唱和を贈答した。その文藻が、伊東東涯の序を添えて『両関唱和集』と題して出版された。
タイトル | 両関唱和集 2編 |
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著者 | 佐々木平太夫 |
著者 | 小倉貞 |
著者標目 | 佐々木, 縮往, 1649-1734 |
著者標目 | 小倉, 尚斎, 1677-1737 |
出版地(国名コード) | JP |
出版地 | 京師 |
出版社 | 唐本屋八郎兵衛 |
出版年 | 1720 |
大きさ、容量等 | 2冊 ; 27cm |
注記 | 印記: 岡山学校 |
注記 | 装丁 : 和装 |
出版年月日等 | 享保5 [1720] |
件名(キーワード) | 漢詩 |
対象利用者 | 一般 |
資料の種別 | 図書 |
資料の種別 | 和古書 |
言語(ISO639-2形式) | jpn : 日本語 |
○享保四年己亥仲冬二十九日
防州竈関唱酬 稟
諸君大礼已畢 文施西還 起居万福欣■々々梯航万里衝暑而来侵寒而去辛労多々不可勝言今幸繋■予竈門関防長二州主大江拾遺遣 僕迎謁 姓小倉名貞字実操号尚斎嘗官遊于東都侍林整宇■帳辛卯歳家李洪厳南四君容接於本願寺且受雨森松浦二子知遇芳洲稽留于東都頗得薫陶之益今夏六月下浣帰藩領州学教諭僕少患脚疾不便拝起請莫罪不敬
青泉
答僕姓申名維翰字周伯号青泉乙酉進士巳甲科官今秘書館著作兼直太常寺行年二十九謬朝選以学士随使節而来海陸万里得竣事回旋莫非
両邦徳音以信以誠使微臣獲此栄帰感誦無涯且惟離蒙小枝辱在 請君子盛念風微芳訊穆そ如鼓慧吹笙此行所奉何菅陸生千金装聞 足下清文峻行己伝
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