三宅橘園『鶏林情盟』

文化度朝鮮通信使と日本人文人の筆談唱和は、1811年(文化8)3月29日から同年6月27日までの朝鮮通信使対馬滞在中に行われた。
(1)三宅橘園は、
 1,同年5月24日
 2,同年6月20日
 3,同年6月26日
の3回にわたって、製述官李顕相・書記金善臣らと筆談唱和をした。その一書が『鶏林情盟』に収録された。

http://www2.dhii.jp/nijl_opendata/nijll.php?man=http://www2.dhii.jp/nijl/kanzo/iiif/200012003/manifest.json&cid=http://www2.dhii.jp/nijl/kanzo/iiif/200012003/canvas/p3.json

<国会図書館 調査カード>
タイトル鶏林情盟
著者三宅, 橘園, 1767-1819
著者李, 太華
著者川越, 有邦, 1790-1827
著者三宅威如齋, 李太華 [ほか]唱和筆談
著者川越有邦左門 [ほか]編
出版地京師
出版社出雲寺文二郎 [ほか4名]
出版年1812
大きさ、容量等1冊 ; 26cm
注記 橘園藏板
注記 裏表紙に「明治四十年二月吉祥/山城国亰都葛郡嵯峨字天龍寺/小倉山常寂光寺/犬山沙門 上田法廣」と墨書あり
注記 装丁 : 和装
DOI10.11501/2537836
製作者国立国会図書館
出版年月日等文化9 [1812]

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三宅橘園は加賀松任邑の人。諱邦。字元興。通称又太郎。号威如斎・橘園。謚文景先生。父祐意(諱完典、称猪陸)は代々「邑老」。幼より穎敏、8、9歳で詩歌を作り始め、13歳で文詩600餘首に至る。天明8年京師に遊学、龍草廬に経義を学ぶが意に満たずして還る。享和2年再遊、皆川淇園に入門、その蘊奥を究め、帰郷の念を絶ち京で子弟に教授する。文化8年朝鮮通信使来朝の際には対馬に赴き、学士や書記と筆談唱和、後に『鶏林情盟』『薄遊漫載』として刊行され名声を得る。その後長崎に遊び、翌年京師に帰る。文政2年8月病没53歳。
<西尾市岩瀬文庫目録 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2321315100/2321315100100010?hid=ht052750>





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