「宝暦十四甲申年四月朔日朝鮮人来朝之節起川舟梁番所ニテ水野源猶忠筆談」(通信使一行の「司光鋒銃士」某との筆談)
目録詳細 / 見聞随筆 (adeac.jp) 函番号(資料番号) 149-80 旧書名 見聞随筆 数量 7 単位 冊 書名 見聞随筆 書名ヨミ ケンモンズイヒツ 書名の備考 書名は原表紙左肩書外題による。 版写 写 書型 半 存欠 全7巻 原装・改装 原装 丁数 327 寸法 22.5/15.8 編著者 東条有儘 編著者ヨミ トウジョウユウジン 成立 奥書等なし。筆者所用印と思われる蔵書印より見て、筆者は名古屋藩士で俳人の東条有儘。第1冊原表紙右下に後筆墨書「全部七巻〈甲より/庚迄〉/但庚ハ半ニしてやむ」。 成立推定 近世中期写 刷り書写の態様 自筆稿本。 内容 主に和歌や俳諧に関する見聞を記した雑記随筆。明和初年頃より漸次書き継がれたもので、末尾は天明6年の記事までで中絶する。各冊の内容の一部、①:「宝暦七年中為門弟堂上御稽古被勧而被詠月々之和歌」(同年2月より12月まで、冷泉為村門の月並題と為村の題詠集)。「明和二年八月十六日御会当座」。「俳諧百一集」。高橋麦秋妻一紅の句集。「結願御着到和歌」(享保6年3月3日、烏丸為栄・冷泉為久詠)。 「宝暦十四甲申年四月朔日朝鮮人来朝之節起川舟梁番所ニテ水野源猶忠筆談」(通信使一行の「司光鋒銃士」某との筆談) 。「読方教訓抄」(有栖川職仁親王著、歌論書)。「明和五年子正月廿六日 当座御会」。「明和五年子三月十八日柿本神影供 公宴御会」。「宇津保物語巻の次第」(「東武歌学者萩原宗固よりしるし来せし物也」とあり)。②:明和3年春、宮部孫八義正と礒野丹波守政武の和歌。「明和五子とし狩野栄川法眼高深遠の山水を書せし三幅に為村卿自詠の讃」。「明和六丑年正月廿四日 公宴御会始」。「東海道鞠子駅長横田三左衛門所持後水尾院上皇御震筆/さても猶とはれぬ秋の夕は山雲吹かせは峯にみゆらん/仮名遣ヒトモ此通ナリ表具中茶地桐鳳凰錦/上下紺地菊桐錦」(全文)。「藝州家霞ヶ関屋敷常居間庭山風景之記同家中森司馬書之」(藝藩侍中郎臣杠效撰漢文「積翠園記」)。「用薬須知後編正誤附録」(平安春菴和田礼子序輯録「七種若菜考」)。前田利家従弟前田慶治の逸話。成瀬内蔵頭藤正太の詩歌。明和9年、横井也有の歳旦。頓阿四百回忌追善歌集(奥に「明和八辛卯歳三月 〈洛東双林寺〉尾陽歌輩」、巻軸は行登の詠)。明和8年霜月21日、行登等の歌集。「本邦門前町総見禅寺什物額...