神奈川県立公文書 郷土資料課 小澤昭子氏の労作 https://archives.pref.kanagawa.jp/www/contents/1552459749462/index.html 【史料1-1】 延享三丙寅年九月 来々辰四月頃、朝鮮人来朝之筈候間、諸事享保度之通、被相心得伺等可被差出候 【史料1-2】 一 朝鮮人来朝に付、道中筋江戸表にて、彼是取繕候儀手重く結構には及間敷候、万事無滞様に申付、掃除等の儀申付候はゝ相済候 一 正徳之時分者、手重く取繕候儀も有之様に相聞候、此段紛不申候様に取計可然候 (『通航一覧 巻45』) ちなみに正徳年中の状況を『通航一覧』でみると、正徳元年に「今度朝鮮人通候道筋、武家屋敷大門を開、金屏風を建、幕は段子、外幕は紫絹、或は晒、弓鉄砲飾立、番人麻上下、随分花やかに致候様被仰付候、町々も金屏風幕をうち、男女見物致候、幕は縮緬、白段子、紗綾、御所染類之幕打、おもひおもひ花やかに飾申候」とあり、豪華絢爛な飾りつけがなされていたことがわかる。 通信使の来日が決まると朝鮮人御用の担当となった役人によって、前回の来日時に納入した物品や差出した人足等についての調査が行われる。それと同時に前回又は前々回の来日に関する書付の提出を求められることもあった。延享4年には東海道・美濃路の宿場の問屋・年寄に書付の有無を尋ねるとともに、関連書類の提出を求める触が出されている。 【史料2】『延享三丙寅年十一月より 朝鮮人一件御用留帳』(部分) 乍恐書附ヲ以奉願上候御事 東海道宿々問屋・年寄 一 来辰年朝鮮人来朝ニ付、正徳年中来朝之節書物等可有之、所持仕候宿々差出シ候様被仰渡候ニ付、書留メ置人馬帳面有之候宿々ハ差上ケ申候、 (中略) 延享四年寅(卯)二月七日 東海道・美濃路共 宿々問屋・年寄 御六人 御代官様 (『寒川町史2 資料編近世(2)』所収 藤沢市平野雅道氏所蔵文書) こののち朝鮮通信使が通行する宿々や間の村々に対して、「先格」の聴き取り調査が行われるが、県内では藤沢宿御賄所(木村雲八・柴村藤右衛門ともに宿々賄代官)が御用を負担する村々に対し、延享4年に次のような内容の調査を行っている。 【史料3-1】『延享年中御用日記』(部分) 御廻状写 来辰年朝鮮人来朝ニ付、藤沢宿御賄所江村々より指出候品々左之通 一 人足 一 猪鹿 一 魚串、豆腐...