投稿

南品川猟師町

 明暦元年1655の朝鮮通信使来日の折、昔の南品川宿3丁目居住の漁民が伝馬役を固辞したために、この場所に移住させられたという。 南品川宿一丁目から目黒川沿いの出先の砂州。

『朝鮮信使御記録』写13冊

 防長史料文献解題」(松村久編、マツノ書店、1989年)85頁に、 『朝鮮信使御記録』写13冊 とある。解説によると、 *正徳度朝鮮通信使来訪時における両関の迎接記録 だそうである。未見の資料

「宝暦十四甲申年四月朔日朝鮮人来朝之節起川舟梁番所ニテ水野源猶忠筆談」(通信使一行の「司光鋒銃士」某との筆談)

  目録詳細 / 見聞随筆 (adeac.jp) 函番号(資料番号) 149-80 旧書名 見聞随筆 数量 7 単位 冊 書名 見聞随筆 書名ヨミ ケンモンズイヒツ 書名の備考 書名は原表紙左肩書外題による。 版写 写 書型 半 存欠 全7巻 原装・改装 原装 丁数 327 寸法 22.5/15.8 編著者 東条有儘 編著者ヨミ トウジョウユウジン 成立 奥書等なし。筆者所用印と思われる蔵書印より見て、筆者は名古屋藩士で俳人の東条有儘。第1冊原表紙右下に後筆墨書「全部七巻〈甲より/庚迄〉/但庚ハ半ニしてやむ」。 成立推定 近世中期写 刷り書写の態様 自筆稿本。 内容 主に和歌や俳諧に関する見聞を記した雑記随筆。明和初年頃より漸次書き継がれたもので、末尾は天明6年の記事までで中絶する。各冊の内容の一部、①:「宝暦七年中為門弟堂上御稽古被勧而被詠月々之和歌」(同年2月より12月まで、冷泉為村門の月並題と為村の題詠集)。「明和二年八月十六日御会当座」。「俳諧百一集」。高橋麦秋妻一紅の句集。「結願御着到和歌」(享保6年3月3日、烏丸為栄・冷泉為久詠)。 「宝暦十四甲申年四月朔日朝鮮人来朝之節起川舟梁番所ニテ水野源猶忠筆談」(通信使一行の「司光鋒銃士」某との筆談) 。「読方教訓抄」(有栖川職仁親王著、歌論書)。「明和五年子正月廿六日 当座御会」。「明和五年子三月十八日柿本神影供 公宴御会」。「宇津保物語巻の次第」(「東武歌学者萩原宗固よりしるし来せし物也」とあり)。②:明和3年春、宮部孫八義正と礒野丹波守政武の和歌。「明和五子とし狩野栄川法眼高深遠の山水を書せし三幅に為村卿自詠の讃」。「明和六丑年正月廿四日 公宴御会始」。「東海道鞠子駅長横田三左衛門所持後水尾院上皇御震筆/さても猶とはれぬ秋の夕は山雲吹かせは峯にみゆらん/仮名遣ヒトモ此通ナリ表具中茶地桐鳳凰錦/上下紺地菊桐錦」(全文)。「藝州家霞ヶ関屋敷常居間庭山風景之記同家中森司馬書之」(藝藩侍中郎臣杠效撰漢文「積翠園記」)。「用薬須知後編正誤附録」(平安春菴和田礼子序輯録「七種若菜考」)。前田利家従弟前田慶治の逸話。成瀬内蔵頭藤正太の詩歌。明和9年、横井也有の歳旦。頓阿四百回忌追善歌集(奥に「明和八辛卯歳三月 〈洛東双林寺〉尾陽歌輩」、巻軸は行登の詠)。明和8年霜月21日、行登等の歌集。「本邦門前町総見禅寺什物額...

「朝鮮信使来聘聞書」(正徳度。附記「堀詰町銭屋庄次郎□所持之書」)。ー岩瀬文庫蔵

  函番号(資料番号) 91-247 旧書名 つたふくろ 数量 5 単位 冊 書名 つたふくろ 書名ヨミ ズダブクロ 書名の備考 原表紙書外題「つたふくろ 二(~六)」。内題なし。 版写 写 書型 半 存欠 巻2~6存 原装・改装 原装 丁数 286 寸法 24.4/16.9 成立 書中に嘉永5年の記事あり。 成立推定 幕末写 刷り書写の態様 原写本。 内容 雑記随筆。『南嶺遺稿』『閑田次筆』『玉石雑誌』『提醒紀談』等の版本随筆を中心とした諸書よりの抜萃。2冊目に「朝鮮信使来聘聞書」(正徳度。附記「堀詰町銭屋庄次郎□所持之書」)。 備考 原装共紙表紙に覆表紙を付す。 保存状況種別 虫損 保存状況程度 あり。 所蔵機関 西尾市岩瀬文庫 資料種別 総記 随叢 大分類 和書 和分類 総記 随叢 雑抄 言語 日本語 原本の所在・史料群 西尾市岩瀬文庫

岩瀬文庫蔵の附驥日記

  函番号(資料番号) 63-52-04ニ 旧書名 附驥日記 数量 1 単位 冊 書名 附驥日記 書名ヨミ フキニッキ 書名の備考 原表紙なし。書名は内題による。 版写 写 書型 大 原装・改装 原装 丁数 26 寸法 27.2/18.8 編著者 草場佩川 編著者ヨミ クサバハイセン 成立 序跋等なし。 成立西暦 1811 刷り書写の態様 自筆稿本。 内容 朝鮮通信使との折衝の為に対馬に赴く古賀精里に随行した際の漢文体日記。文化8年閏2月28日に江戸の昌平官舎を出立、5月2日に対馬に上陸するまで。 備考 覆表紙を付す。『栄封名勝百絶』『〈癸卯〉梥北遺響』『押韻野乗』『附驥日記』『詩暦閏餘』『片煙遺灰』『佩川文草』『佩川詩稿』(63-52イ~チ)8点21冊は草場佩川自筆稿本、もと一括資料で同装丁。 保存状況種別 汚損 保存状況程度 あり。 所蔵機関 西尾市岩瀬文庫 資料種別 地理 日本地誌 大分類 和書 和分類 地理 日本地誌 遊覧遊歴 遊歴 山陽九州 言語 日本語 原本の所在・史料群 西尾市岩瀬文庫

岩瀬文庫蔵の桑韓往復書牘

  函番号(資料番号) 47-90 旧書名 桑韓往復書牘 数量 1 単位 冊 書名 桑韓往復書牘 書名ヨミ ソウカンオウフクショトク 書名の備考 書名は中央書外題による。 版写 写 書型 大 原装・改装 原装 丁数 5 寸法 26.3/20.0 編著者 最里幹 編著者ヨミ モリカン 成立 表紙外題左下に「観生堂」。返書の奥に附記「右返翰未秋八月廿二日従寿寧院禎長老見達入手長老十四日自対州帰院云」。奥書「右桑韓往復書牘者最里君所蔵」。水野皓山書写本。 成立推定 近世後期写 内容 文化8年仲春、対馬まで来舶の朝鮮通信使の医官に宛てて、京都在住の医である最里幹が禎長老に託して呈した書翰、およびそれに対する「朝鮮国朴景都金鎮周等」連名の返翰、の写し。『温疫論』の善本、及び同書に引く医書『傷寒実録』の所在についての質問。書簡中の自己紹介によれば、最里幹は字公済。越前鹿角の人。京住。富野仲達門。『温疫論校註』の近著あり。 旧蔵印識語 山本読書室本か(印なし、蔵書目録による推定)。 備考 共紙表紙(無罫)紙縒綴本。本文は版心に「(魚尾)巻 玉蘭舘蔵」とある四周双辺9行墨刷罫紙。 所蔵機関 西尾市岩瀬文庫 資料種別 医学 総記附史伝 大分類 和書 和分類 医学 総記附史伝? 言語 日本語 原本の所在・史料群 西尾市岩瀬文庫

朝鮮人宿寺東本願寺并塔頭所々御普請御入用帳(目録)

  目録詳細 / 朝鮮人宿寺東本願寺并塔頭所々御普請御入用帳 (adeac.jp) 函番号(資料番号) 148-38 旧書名 朝鮮人宿事東本願寺其他普請入用帳 数量 1 単位 冊 書名 朝鮮人宿寺東本願寺并塔頭所々御普請御入用帳 書名ヨミ チョウセンジンシュクジヒガシホンガンジナラビニタッチュウショショゴフシンゴニュウヨウチョウ 書名の備考 書名は原表紙中央書外題「朝鮮人宿寺/東本願寺并塔頭所々御普請御入用帳」による。旧書名「朝鮮人宿事(ママ)東本願寺其他普請入用帳」。 版写 写 書型 大 原装・改装 原装 丁数 128 寸法 25.2/17.0 成立 原表紙右肩に「正徳元辛卯年」。原表紙左に後筆附記「帳目録外れ/三十四冊之外也」(墨抹消あり)。奥書「都合金三万六千三百五拾壱両弐分銀六匁六分/是者朝鮮人宿寺東本願寺其外所々御作事場所切一式請負被仰付御入用金高如斯ニ御座候/正徳元年卯十二月 〈鈴木屋〉伊兵衛/〈同〉平兵衛」。 成立西暦 1711 刷り書写の態様 原写本(清書本か)。 内容 正徳元年度の朝鮮通信使来朝(10月18日江戸入府・11月19日出府)に際し、江戸に於ける信使一行や関係者の宿舎となった東本願寺(浅草別院)及び周辺の塔頭(子院)等諸寺院の作事修繕の箇所と工事の概要、経費を列挙した詳細な帳面。冒頭部「一本堂より食堂江渡り廊下壱ヶ所新規屋根諸色/代金四百四拾両/一食堂拾五間ニ七間有り家曲ミ直シ惣しらげ天井戸障子入畳屋根諸色/代金六百五拾弐両弐分/一食堂広間之間筋違廊下戸障子畳屋根諸色/代金七拾弐両三分銀五匁…」。 備考 原装共紙表紙に覆表紙を付す。半丁7行。○関係する寺院は東本願寺の外、妙清寺(御献上御馬ニ附来り候朝鮮人三人之宿坊・宗対馬守家来信使荷物支配役御鷹師日本通詞宿)、真覚寺(通詞頭并通詞之者宿)、蓮光寺(信使附役人宿)、浄正寺(献上御馬掛御鷹掛之者〔宿〕)、源通寺、蓮行寺、泉勝寺、妙順寺(信使附役人宿)、聞成寺(信使附宗対馬守家老宿)、即随寺(信使附宗対馬守家老下宿)、源隆寺(信使附宗対馬守家老宿)、長敬寺(御賄方)、敬光寺、通覚寺、等光寺、正行寺、西光寺、証願寺(宗対馬守儒者宿寺)、願龍寺、法融寺(御賄方)、善龍寺(御賄方)、縁泉寺(御賄方)、宗恩寺(御賄方)、厳念寺(通詞之者宿)、清光寺(集長老宿)、大松寺(棟長老宿)、光円寺、敬覚...