1748年(寛延元年)彦根での宿舎および彦根一泊の費用(1331両)
三使 宗安寺 中官 大信寺 下官 明性寺 官人荷物 蓮華寺 長老 江国寺 長老 下宿 善照・松原庄右衛門 通詞・下知役 上魚屋町八右衛門・同町久左衛門 通詞 願通寺・法蔵寺・理応院・白壁町源右衛門・同町伝次・紺屋町伝介など 宗対馬守 林吉兵衛 町方総下宿数126軒、対馬藩仮馬屋51カ所 馬 64頭、 ******************** 宗安寺蔵『宝暦十三未年朝鮮人御馳走 御用御入用積作事方萬仕様帳 」竹内真道論文 二、『宝暦十三未年朝鮮人御馳走御用御入用 積作事方萬仕様帳』について この『宝暦十三未年朝鮮人御馳走御用御入用積作事 方萬仕様帳』(以下『仕様帳』と略す)は、 袋綴冊子、ニケ所こより綴、十九丁表紙とも紙 縦二十四・五センチ 横十七・五センチ 一冊 で、その内容は、前半〔82〕頁までが、〔82〕頁に、 右者寛延元辰年朝鮮人来聘御馳走御用二付御作事方御修覆仕様萬書記奉渡上候以上 とあることから、寛延元年(一七四八年)に来日した通信 使一行の、彦根での宿泊に際してなされた、宿館の修覆 や準備の仕方等を、記したものである。表紙に「宝暦十 三未年」とあるから、宝暦十四年(一七六四年)が通信使 来聘の年であるので、その前年に、前回寛延元年の通信 使宿泊準備の仕様を、参考のため書き記したのであろ う・ 次に、〔84〕頁から〔92〕頁五行目までは、「覚」と始めにあ ることから、前回寛延元年の通信使一行宿泊の準備にか かった費用が記されていると考えられる。ただし、この 費用の合計は、〔92〕頁の「七拾九貫八百七拾六匁四分」で あるが、その内訳が、〔84〕頁から〔8〕頁十一行目までと、 〔8〕頁十二行目から〔90〕頁三行目まで、及び、〔90〕頁四 行目から〔92〕頁五行目までの、三通りに書かれている。 次に、〔92〕頁六行目から最後までは、始めに「萬御入 用大積」とあることから、来る宝暦十四年の通信使一行 の宿泊準備にかかる費用の、見積りである。 準備にかかった費用は、七十九貫八百七十六匁四分。これを両に直すと、約千三百三十一両。一番多く 使われたのは、三使旅館の宗安寺で、二十一貫七百五十 四匁九分である。他に目立つのは、橋の懸替えに、二十 貫九百八十五匁四分が使われている。